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 歴史の教科書には、有史以来の「大事件」が山ほど取り上げられている。歴史の特色は、歴史が「起こったこと」の連続として書かれていることである。しかし、人間の毎日の活動の集積が歴史だとすれば、歴史の大部分は「起こったこと」の裏にある「なにも起こらなかったこと」で埋め尽くされていることに気づく。われわれの日常生活を考えれば、事件などほとんど起こらない。もっといえば、われわれは毎日、「事件」が起こらないように注意して生活している。車を運転するときには人にぶつけないように、料理するときには包丁で手を切らないように、それで当たり前であろう。そう考えると、歴史の教科書の書き方はきわめておかしいという気がしてくる。
 もちろん、「なにも起こらなかったこと」をつなげても、歴史は書けないであろう。しかし「起こったこと」だけをつないだ歴史は、なにかが起こらないようにするために日常的に払われている努力を無視している。その意味では、①現実を誤解させる恐れが強い。ともあれ人間は「起こったこと」のほうを好む。ジャーナリズムをみれば、それがわかるであろう。歴史とジャーナリズムは、できごとの連続として世界をみる点で、根本的に似たもの同士である。なにかが起こらないようにすることは、意外に大きな努力がいる。それが地味な努力ということである。歴史もジャーナリズムも、それを基本的に評価しない点で共通している。
 医学の領域でも、これと同じように、予防医学は二の次、三の次におかれる。手術や投薬で病気が治れば、医者は感謝される。「起こらなかった」病気に、治療費を払う患者はいない。やったことに対する報酬で成り立つ世界、つまり経済中心の世界のおかしさは、そこにある。②そこでは予防に人気がないのは当然である。なにかが起こらないようにするための努力が大切だと気づくのは、なにかが起こってしまってからである。医者の忠告を無視して病気になれば、あのときいうことを聞いておけばよかったと思う。BSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)の牛が出たとわかってから、 飼料の原料をきちんと管理しておくべきだったという話になる。バブル期(注1)にマネー ゲームに手を出して損をした企業は、本業だけに精を出していた企業をうらやむ。
(養老孟司『いちばん大事なこと』による)
(注1)バブル期:土地や株が異常に値上がりする経済状況の時期