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ぼくは、プライドというのは絶対だと思う。
 自分がバカであろうと、非力であろうと、そういう自分全体に責任をもって、堂々と押し出す。それがプライドだ。ところが自尊心だとかプライドだといいながら、まるで反対のことを考えている人間が多い。
 他人に対して自分がどうであるか、つまり、他人は自分のことをどう見ているかなんてことを気にしていたら、絶対的な自分というものは( 13 )。プライドがあれば、他人の前で自分をよく 見せようという必要はないのに、他人の前に出ると、自分をよく見せようと思ってしまうのは、その人間にコンプレックスがあるからだ。
 大切なのは、( 14-a )に対してではなく、( 14-b )に対してプライドを持つことなんだ。
 他に対して、プライドを見せるということは、他人に基準を置いて自分を考えていることだ。そんなものは本物のプライドじゃない。( 15 )、他人にバカにされようが、笑われようが、自分が 生きている手ごたえを持つことが、プライドなんだ。
 相対的なプライドではなくて、絶対感を持つこと、それが、本当のプライドだ。このことを( 16 )、人間として純粋に生きてはいけない。
 だから、自分は未熟だと言って悩んだり、非力をおそれて引っ込んでしまうなんて、よくない。それは人間というものの考え方をまちがえている。というのは人間は誰もが未熟なんだ。自分が未熟すぎて心配だなどとい うのは甘えだし、それは未熟ということをマイナスにかんがえている証拠だ。
 ( 17 )、弱い人間とか未熟な人間のほうが、はるかにふくれあがる可能性をもっている。未熟というものは運命全体、世界全体を相手に、闘う力というものをもっている。
(岡本太郎『自分の中に毒を持て』による)