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 以前、花見をしている時に「桜の花は本当にきれいな正五角形(注1)だね」と言ったら、風情のない人だと笑われたことがあった 確かに、桜の花びらには微妙な色合いや形、そして香りに加えて、 散りゆく美しさがある。花をでる和歌や俳句は数限りないが、そのなかに「正五角形」という言葉が使われたことはおそらく一度もないであろう。科学者特有の美意識は、 風流とはかなり異質なものなのだと悟った。
 科学において本質以外を切り捨てるためには、大胆な抽象化と理想化が必要である。桜の花びらのたくさんの特徴の中から、「正五角形」という形だけを取り出すこと。これが抽象化である。実際に 数学的な意味で完全な正五角形を示す花びらは少ないだろうが、そこにはあまりこだわらない、これが理想化である。
 自然界で正五角形のような対称性を示すためには、必ず規則的な法則があるはずである。花の場合、品種によって花弁かべん(注2)の回転対称性が遺伝fで決定されていることは間違い ないから、うまくこの遺伝子を突きとめられれば、花の形を決める普遍的な法則が見つかるに違いない。このように、抽象化と理想化によって自然現象は単純に整理でき、普遍的な法則を見つける助けになる。
(酒井邦嘉『科学者という仕事』中央公論新社による)
(注1)正五角形:五つの辺の長さが等しい五角形
(注2)花弁かべん:花びら