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 建築の設計をやっていると様々な職人に出会う。大小を問わずどの現場でも一人や二人、主役を張れる(注1)人がいる。 そうした人に出会うのが、現場に通う楽しみのひとつだ。長い時間、図面にばかり接していると、現実を離れて思考が一人歩きすることがよくある。そん な時、彼らからもらう情報がかけがえのない(注2)ものであることが分かる。我々が作り出す図面は、線で描かれた抽象的な記号に過ぎない。彼らは物に触っている。経験則によって裏 付けられた、物に近い、深くて確かな情報を持っている。
 図面は人間の頭の中だけで作り出されたものだ。それを現実の建物に移し替えるには、木や鉄やコンクリートといった、物から手によって直接に得られる情報が不可欠だ。頭で 生み出されたものは、思いこみや錯誤によって間違うことが多いからだ。
 今はコンピューターと情報通信の時代だ。それにともなって、手を動かす機会がどんどん少なくなってきている。建築の設計でもCAD(コンピューター利用設計)化の勢いは すさまじい。しかし、その図面は、設計の全体を把握しにくい。きれい過ぎて、何であれ、すべてうまくいっているように見えてしまう。手を経ずに、頭の中だけで作業が完結して しまっているからだろう。
 トレーシングペーパー(注3)に鉛筆で苦労をして描かれた旧来(注4)の図面は、そこに描く人の感情 が入っている。うまくいっていないところは消しゴムで消し、描き直して修正していく。 技術的に問題のあるところ、デザイン的にうまくいっていないところほど、線はにじみ、トレーシングペーパーは人の手の脂で汚れてくる。何回も描き直した個所は、しまいには 擦り切れて穴が開いてしまうこともある。
 描いた当人の自信がなければ、鉛筆の線にもその迷いを見て取ることもできる。慣れてくると、図面上の線から、描いた人の経験的なレベルや人柄さえ分かるようになる。手書 きの図面には、すてがたい様々な種類の情報が塗り込められている。均質な図面の向こう側に人の姿が見えにくい分、CADでは大きなリスクを見落とす可能性もある。
 手から遠いコンピューターの出現によって、リスクの所在をかぎ取ることが、旧来の経験則では難しくなってきている。これは設計に限ったことではないだろう。今や情報通信 とコンピューターはあらゆる分野に浸透し、社会全体を変えつつある。頭から生み出されたものが暴走している。リスクの所在が、より巨大で、見えにくくなった。
 どこかでそれを、生身の身体を持つ人間の側に引き戻す必要がある。手から得られる情報は、効率は悪いが、現実の世界をまさぐって(注5)得られるものだ。その人の身体だけにとど まる固有の情報といってもよい。忘れられつつある手の行き場を考えるべきだろう。
(内藤廣『建築のはじまりに向かって』王国社による)

(注1)主役を張る : ここでは、主要な役割を果たす
(注2)かけがえのない : 他に代わりがないほど貴重な
(注3)トレーシングペーパー : ここでは、設計図を描くための紙
(注4)旧来の : 昔からの
(注5)まさぐる : 手探りをする