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 勝ち組、負け組って何だろう。
 春先は入学や就職しゅうしょくなど、進路が決まったり決まらなかったりする季節である。
 ゲームならルールがあって明確だ。しかし、われわれ「人」の勝ち負けに、世界共通の基準などあるのだろうか。勝ち負け――つまり成功の基準は、人によりさまざま なはずだ。同じ一個人でも時と場合によっては、ちがってくる。
(中略)
 試験は合格が「勝ち」で不合格は「負け」。資格試験であれば、取得できれば成功、できなければ不成功。とてもわかりやすい。
 ただ、これも試験そのものの基準であって、人を組分けする基準ではない。受験者はそれぞれ個別の事情や目標をもっている。受験に至るまでの、そのような一切(注1)を評価するのは本人であり、 他人がとやかく言う問題ではない。  では、どうしてまわりの評価や基準が気になるのだろう?それは、自分の中で成功の基準を持っていない、意識していない人が多くなっているからではないか。毎日の生活の中で、何ができればいいのか、 どう感じることが幸せなのかを、ちっとも考えなくなっているからではないか。
 自分の基準がないから、まわりを気にする。他人と比べるから、勝ち・負けの発想に傾いてしまう。しかもその際、他人の基準を使うから、どうしたってストレスがたまるし、勝つよりは負けるほうが多くなる。
 私自身、30代までは、まわりの評価を基準にしていた。そしてあるとき「一生こうして生きるのか?」と考えたら、そもそも「自分はどう生きたいのか?」を、まじめに考えたことすらないことに気づいた。
 その後、会社を辞め、独立もしてみた。再就職しゅうしょくも何社かした。だが、たいして変わらなかった。今にして思えば、そのとき自分がやったことは、「まわりを変える」ことであって、 肝心かんじん(注2)「自分を変える」ことではなかったからだ。
 40半ばを過ぎ「自分の成功基準を持つ」大切さに気づいた。生活の中に数々の成功基準を持つことで、一日の生き方は、どんどん意識的なものになる。たとえば、朝早起きできれば成功、その後ジョギングをして、 道すがら(注3)何か発見があればこれまた成功、気持ちよく仕事に行ければ大成功、夜仲間と飲めれば大大成功!といった具合だ。
 われわれは②われわれ自身の「ゲーム」の主役だ。ルールは自分で決めて打ち込め(注4)ば、毎日はスリリング(注5)で楽しいものになる。
(三好隆宏「私の視点」2008年3月12日付け朝日新聞朝刊による)
(注1)一切:すべて
(注2)肝心かんじんの:もっとも重要な
(注3)道すがら:途中で
(注4)打ち込む:何かをいっしょうけんめいする
(注5)スリリング:わくわくすること